じゃあ まあいっか

ジャマイカと算数と俺とエビ。。。

「消えろ事件」を日本でもう一度見つめなおしたら、僕が本当に助けるべき人たちが見えてきた

こんにちは。ジャマイカで青年海外協力隊として算数を教えているフルタ(@Furuta_Jamaica)です。

 

一時帰国中に色んな人から「消えろ事件」のことについて聞かれました。(ブログ読んでくれてありがとう)

簡単にいうと、子どもに運動会のためのお金を要求されて、「お金が必要です」という手紙を書いてきた子だけにお金を渡したら他の子に逆ギレされた話です。

 

お金に関するトラブルは正直そんなに珍しくない話で、この事件のあとも少し気にしていたくらいであんまり考えてませんでした。

でも、今回こうやって色んなひとが少しでも「難しいなぁ~」とか考えてくれていたんだということがわかって、落ち着いた今もう一度振り返ってみることにしました。

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目次

 

友達たちの意見

色々な人の意見を聞けて本当に面白かった。やっぱり多かったのは「難しいけど、、全員にあげれるわけじゃないからあげないほうが良かったんじゃないか」という意見でした。ふむふむ。

なるほどなー。

話している友達の中に日本で先生をやってる人もいて、彼女のクラスにもノートを持って来られないこどもがいてどうしようかと悩んでいるようでした。

日本は逆に持っていることが普通だから、ジャマイカよりさらに辛くなるよなぁ。

子どもだから買うお金がないのは彼らの責任じゃなくて、社会的にみると不平等のような気がするけど、だからと言って与えるのはクラス的に不平等。

 

なんだこりゃ。平等だとか不平等だとか、それってなんなんだろ?

 

日本で先生をやっていたときは僕も当たり前に「平等ではないことはできない」という考え方だったし、特別扱いをすれば他の子たちが不満を持つことは当然。まさに友達たちが思っている気持ちをそのまま持っていたと思います。

ただ、ジャマイカで本当に色々な環境の子どもたちを見ていくことで、僕の気持ちはだんだん変わってきたんです。

 

少しずつ変わってきた自分の気持ち

ジャマイカに来るまでは「途上国の人」というアホみたいに漠然としたイメージで現地の人を想像していましたが、当たり前ですが来てみると色々な人がいました。

  • 今にも倒れそうな、支援を本当に必要としている人
  • やろうと思えばできるのに助けばかり求めている人
  • 助けを求めることを仕事にしている人
  • 貰ったお金を女の子にあげてナンパしている人
  • 友達のフリをして近づいてくるお金目的の人

イメージしてた「途上国の人」とは違う人にびっくりすることも多々ありました。

やっぱり人は自分の生活が苦しくなってくると、自分で考える余裕が無くなってきちゃうのはしょうがないのかもしれないけど、正直こんな人たち助けたくないよと思うこともしばしば。

 

でも、そんな状況の中でも印象的だったのは

  • お金がなくても人のために行動している
  • 限られた状況の中でも夢を持って一生懸命努力してる

という人たちがいること。

助けくれ~って言っていればラクだけど、そうじゃなくてそこで何かを学ぼうとしたり、目標を叶えようと努力したり、人のために行動しようとする一生懸命な人がいた。

なんか、こうやって本当に色んな人がいる中で全部を一緒くたにして、平等じゃないから助けない、というのはちょっと違うんじゃないかな、と考えるようになりました。

 

陸上部の生徒たち

今回の一件でお金をあげた子どもたちは、そういう意味では本当に前向きだと思います。

限られた状況の中でスポーツ大会で優勝するという目標を持って頑張ってる。練習も本当に一生懸命やっていました。

だけど、まずお金の問題でそれを披露することすらできないんだとしたら、それはやっぱり酷だしそういう子はできる範囲でサポートしていきたいなと思いました。

 

もしかしたらそれは不平等だとまた言われちゃうかもしれない。

でも平等って、みんなが同じように過ごすことじゃなくて、「目標に向かって進むチャンスが保障されてること」じゃないのかな。

 

活動も同じ

僕は小学校で活動しているんですが、小学校の中にもいろいろな先生がいます。

「教材買って~」というだけの先生もいれば、「私の授業を見て改善ポイントを教えて」という先生もいる。

そういう人と接しているとやはりどうしても後者と活動していきたいと思ってしまうし、援助を求めているだけの学校には行きたくなくなってくる。

この間も、久しぶりに行く学校の先生に「なんで他の学校ばっかり」ということを言われました。

でもやっぱり、この2つの学校を同じようにサポートすることが平等だとは思いません。本当の平等は、後者のように学ぼうとする姿勢のある人にきちんとしたチャンスを与えることじゃないかな、と思いました。

 

自分が大切にしたいものを応援する

消えろ事件についても、お金をあげなかった生徒からは記事に書いた通り言われましたし、あの記事の後も色々ありました。

 ただ、陸上部の子たちと一対一の関係で考えたときには、お互い得ているものが多いんじゃないかと思います。

子どもたちにとっては寄付を得るために何をどういう理由で欲しいのかを論理的に伝えたり、それを紙にまとめて誠実に伝える、ということをしたのは初めてだっただろうし、何かを感じてくれたんじゃないかと思ってます。

僕にとっても、手紙をもらったことでより「応援しよう」という生徒への気持ちとお互いの関係性が強くなりましたし。

だけどあの一件の時は、周りの「ラクしてお金もらおう」とする生徒のヤンヤヤンヤいう声にばかり気を取られていました。

 

一番大事だったのは一対一の関係で、生徒が何かに一生懸命で、その目標を達成するためほんの少しの手助けをして、お互いが何かを学んだことだったんじゃないかなと。

ラクしてお金を貰おうとする生徒の声ばかり聞いて、なんであげちゃったんだろと思う事こそが、一生懸命やってくれた子どもたちに一番失礼かもしれないな。

 

先輩の隊員のぴかりんさんがくれたコメントで

というのがありました。ほんとそうだなぁ。

自分にとって大切かどうか。

 

自分にとって大切な人だけを応援していれば、周りのラクしたい勢から色々言われるのも確か。

でも、それよりも「自分が大切にしたいものを応援する」強さを持ってたいなと思います。

 

反省点

ただあの一件ではやっぱり僕側の準備不足というかもっとしっかり考えてからいうべきだったというのはあって、先に出せる金額を伝えておくべきだったとか、あげられない生徒への説明がフォローが不十分だったりとか、色々あります。これはほんと反省しなきゃいけない。

また、こちらも先輩隊員のKeiさんからいただいたコメントは

対価としてお金をあげる、ということ。

ジャマイカの人はギブandテイクでなく、テイクandテイクしか考えてない人が本当に多いので「人のために何かをすれば見返りがあるかも」ということを伝えるいいチャンスだったな。

次はそういう視点で見れるようにトライしてみようと思います!

 

まとめ

なんだか色々考えちゃいましたが、今までの僕は本当に大切なものを見ていなかったんじゃないかなと思います。

一番大事なのは、一生懸命で前向きな人達な大切な人を少しでも支援できる手立てを考えること。

当然それによって周りから心ないことを言われることもあるんだけど、本当に手助けするべき大切な人を応援するどっしりとした心を持っていたいな、と思いました。

 

それと、こうやって日本の友達や家族だったり、他の隊員のひとから色んな意見を貰えることは自分にとって本当に貴重なことだな、と再確認しました。ありがとうございます。

これからもいろいろ皆さんおしえてくさださい!

 

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